私が開院した理由

元々は患者だった私

私は高校生の時、陸上部に所属していました。
専門の種目は短距離で、主に100メートル、200メートルが専門でした。

昔から体の硬かった私は足の故障に度々悩まされてきました。

それでも少し体を休めれば
なんとか練習にはついていけました。

ところが高校2年生の冬の練習中。

万全の状態で練習中にダッシュをしている時、
今までに感じたことのない強い痛みが一瞬、
ピキッと右の腰に走りました。

私は単なる一時的な腰痛と思い放置していましたが
しばらくして、腰に重たい痛みが出て、
その痛みが続くようになりました。

数ヶ月経っても痛みは落ち着かず、
さすがに不安になってきたので
整形外科でMRIを撮りました。

 

診断結果は「腰椎すべり症」

腰椎すべり症は、腰の骨が前方へすべり、痛みが出る症状です。

病院の先生には「完治は難しい。痛みとはうまく付き合っていくしかない」と告げられました。

思った以上に重い状態と知り、大きなショックを受けました。

「手術をすれば良くなりますか?」と先生に聞きましたが、
「あなたの症状の程度だと手術ができないんです」と言われたのを覚えています。

それ以降は、体調を考慮し、腰に無理のいかないように練習を続けました。

まだこの頃は、本当に辛いという状態ではなかったのです。

 

高校を卒業しても痛みと付き合う日々が続きます

そして高校を卒業して、高知の専門学校へ通うことになりました。

運動もやめ、少しは腰の痛みを忘れることができるかと思いましたが
腰の痛みはますます悪化していきました。

その頃から外出時はコルセット(腰痛バンド)が欠かせませんでした。
痛みが少しでも和らぐように感じたからです。

正直、周りの同級生でもコルセットを使っている友人などはおらず、
この歳でコルセットを使うことが恥ずかしいと思っていました。

同情されるのも嫌ですし、この頃が一番ストレスを感じていました。

 

腰痛がきっかけで不眠症に

元々、寝付きは良いほうでしたが、この頃から寝付きに時間がかかるようになり

少しの物音にも敏感になることが増えてきました。

 

夜が来るのが怖くなり、日付が変わってから、眠気の限界がくるまで

起きていたこともありました。

 

明らかな睡眠不足が続くので、朝起きても体がスッキリしません。

 

この状態が約3年ほど続きます。

 

ゴッドハンドと呼ばれる先生の治療を受けに行くも…

何とかしたいと思い、整体やカイロプラクティック、
マッサージ、鍼やお灸も受けてみました。

予約がなかなか取れないゴッドハンドと呼ばれる先生の
治療を受けに通ったこともあります。

先生は「よくある症状だし良くなるよ」と言っていただいたので
言われた間隔で通院しました。

それでも改善がなく、
県外は愛媛県の丹原町まで治療に通ったこともあります。

しかし、目立った改善はなく、その後も痛みと付き合うことに…

専門学校を出て、続けていた飲食の仕事も
腰の痛みに耐えられず退職。

立ちっぱなしの体勢は腰には大きな負担になっていました。

タラレバを言っても仕方ないのですが、
腰の痛みがなければ、きっと飲食の仕事を続けていたと思います。

それくらい、やりがいを感じていました。

その後、少しは腰への負担が少ないかという思いと
まったく違うジャンルの仕事をしてみたいと思いがあり、
営業の仕事に就きますが外回りだったため、
またしても腰痛に悩まされました。

腰の痛みが強くなってきたら、
知り合いに紹介してもらったマッサージ店で
患部を揉んでもらっては一時的ながらも
腰が和らいだ気がしていました。

そして私も20代半ばになり、
諸事情で実家に戻ることになりました。

 

突然やってきた転機

腰の痛みは相変わらずで
目標も失っていた私は
ただただ退屈な日々を過ごしていました。

ある日、母が「近くにこんな整体があるみたいよ」
チラシを渡してくれました。

どこか惹かれるものがあったのでしょう、
私はこれが最後のつもりで整体に通ってみることにしました。

先生の施術は、今まで受けた中でも最もソフトで
ちょっと変わった整体だという印象でした。

体を揺らしたり、ふれたりするくらいの
刺激としては物足りないほどだったのですが、
先生の言う通り、何回か続けて通ううちに
痛みを感じないようになりました。

そして、気がついたら楽になっていたのです。

8年間痛みに耐えてきたのに
こんなソフトな整体でなんで楽になるの?
と施術を受けるたびに不思議に感じ、
その頃から整体に対して興味が湧いてきました。

当時は営業の仕事をしていましたが

「この仕事をいつまで続けられるだろう…」

「本当にやりがいを感じているだろうか…」

そういう不安は感じていました。

「自分にしかできないことをやりたい」

「人に喜ばれる仕事がしたい」

ずっと思っていた感情が日に日に強くなり
会社を退職し、整体学校へ通うことにしました。

 

恩師のもとへ勉強に通うことに

私の通っていた整体学校は当時北九州市(今は閉校)にあり
師匠である林先生にご指導いただきました。

当時習っていた技術コースが修了するまでの
半年間、北九州市まで通いました。

技術練習は1日みっちりと行ない、
終わると高知へ帰るという生活が半年。

高知にいる間、仕事がない日は
紹介してくださった先生の元に
施術を受けてもらったり技術習得に励みました。

半年経っても、即開業とはいかず
まだ自信がなかったので高知の先生の元で教えを請い、
地域のコミュニティーセンターや公民館をお借りして
無料施術体験会などを開催し、多くの方に施術を受けていただきました。

同じく四国内で整体師を志す仲間がいたので
毎月定期的に集まって技術習得、情報交換などをし、
徐々に自信を深めていきました。

当時のメンバーの中にはもう整体の仕事を離れた人もいますが
今もなお県内外で活躍されている先生もいますし、
時々連絡を取り合ったりもしています。

年齢も経歴も住む場所も違う者同士ですが
お互いを高めあっていける有り難い存在です。

 

バタバタしながらもなんとか開院

そして2009年11月。
土佐山田町にて「ゆらゆら整体」を開院。

道路から細い路地を入った隠れ家的な場所で営業を開始しました。

最初は手探りでのスタートで
とにかく歩いてチラシ配布で宣伝をし、
少しずつお客さまが来て下さいました。

地域性もあってか最初の頃は年配の方が多く来られました。

慢性的な症状を抱えておられる年配の方には
「やさしい整体で気持ちが良い」と喜んでいただけ
ご家族の方やご友人をご紹介いただけることも増えていきました。

 

順調に行くかと思いきや、壁にぶつかる日々

不思議なものでお客さまが増えるにつれ、
重い症状の方が多くいらっしゃるのです。

しかし、当時の私の技術ではなかなか改善しない
お客さまも正直いらっしゃいました。

その度、自分の力不足を痛感しました。
申し訳ない気持ちにもなりました。

もっとレベルを高めたいと思い、
紆余曲折あって以前よりも刺激が少なく
様々な症状に対応できる
今の治療スタイルにたどり着きました。

 

そして移転をして現在に至ります

2017年6月1日、「整体院ゆるり」に院名を変更して
高知市葛島へ移転。

来院される方が増え、 以前よりも広くなったことで
より多くの方に治療を受けていただくことができるようになりました。

移転した今も月に数回、
技術のセミナーや勉強会にも参加しています。

痛みや不調でお悩みの方に
楽になったと喜んでもらえるように
初心を忘れず日々、治療に取り組んでいます。

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